本の要点:僕は、死なない。がん全身転移から生還してわかった、人生に奇跡を起こすサレンダーの法則
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『喜びから人生を生きる』という本、アニタ・ムアジャーニ
『癒しへの旅』著者:ブランドン・ベイズ
Contents
- 寺山心一翁 癌が消えた 人が治った方法を真似しても、決して治っていきません。作り方はあなたしか知りませんから、治し方もあなたしか知らないのです。
- 肺がん。肺は陰陽五行では「悲しみ」。
- はじめはガンと戦っていた。ネガティブなことを考えないようにして、絶対に勝ってやろうとしていた。
- トキさんの自強法のワークショップ。
- 奇門遁甲。
- 癌と戦っている間は、いつも何かに追いかけられている感じがした。
- 寺山先生のスマイルワークショップ、秩父で開催。
- 自分の頭の中に走り回る恐れの声に振り回されないことが大事なんだ。
- 歌をみんなで歌っているとき、声が重なり合い、神様の声みたいだと思った。涙が溢れ出した。声が震え上ずる。みんなの目からも涙が溢れ出した。
- 大学病院の掛川医師に代替医療で行くことを伝えたら、そうするとどのように体調が悪化していくかをこと細かに聞かされた。
- 太陽の光を浴びただけで幸せを感じたり、息をしているだけで幸せなんだ、生きているだけで素晴らしいんだと感じることがあった。
- 引き寄せの法則で「意図を持つこと」の大事さを学んだ。
- 寺山心一翁先生のスマイルワークショップで出会ったさおりさん。
- 自分では怒りを感じていたが、体は悲しみの感情を表す。しかし、悲しみはピンとこない。
- やれることは全部やった。これでもう僕にできることはなくなった。ゼロだ、ナッシング、完全に白旗。神様、降参です。
- 翌日、父母と会って、父に沙織ちゃんとの宿題、そして父への思いを伝えた
- ケイコさんという特殊な能力を持っている人と会った。
- ヒーラーの河野修一さん。癌は自分自身なのです。自分と戦っても勝てません。傷つくだけです。
- そこからのアプローチの仕方は2種類ある:
- 痛みや病気は本当の自分とつながるためのガイド。魂とより深くつながり、本当の人生を歩むための最高のチャンス
- 入院時のアンケートで、今の自分の病状についてと今回の入院についてのアンケートを記入した。
- 僕は努めて考えないこと、いい気分でいることを意識した。
- 長男から KOKIA の「愛はこだまする」という曲の映像が送られてきた。
- 沙織ちゃんが言っていたこと。何か治療とか検査とかするときは、心の中でこう言うの:
- 骨シンチを受けていた。その結果が、炎症や全身に転移している様子が見られた。
- 今できること、それはいい気分に戻ること。よし、波の音を聞こう。
- 遺伝子から ALK が見つかった。肺がんの 4% しかいないと言われている、とても珍しい遺伝子。その 4% に入った。
- この後、CT画像でいろいろな臓器に転移していることを先生から説明されたが、「結構すごいですね。脾臓もですか?」などと他人事のように感心した。
- ボクサーの後輩の土屋くんは、みんなが認めるヒーローなのに自分で自分を許していない。
- 父が見舞いに来て帰った後、怒りが湧いてきた。怒りの声を直接聞いてみた。すると:
- さおりちゃんのアドバイスを自分なりにアレンジして、「私はこの薬、アレセンサを飲むことで健康になります。アレセンサ、君は愛の弾丸。君は僕の体に入るとがん細胞とハグをします。そして二つは一つになって、光となって消えていきます。ありがとうアレセンサ、ありがとうがん細胞、君たちは愛です」と唱える。
- 4月10日に退院が決まったのに、目の治療のせいで2週間も伸びそう。その日は結婚記念日なんだぞ。まるでパズルのピースがはまるように全てがうまくいっていたのに。
- 南伊勢の空気は濃い。空気が濃密で、生命エネルギーがみっちりと詰まっているように感じた。
- 多くの人が人生は修行の場だという。確かにそんな見方もできるが、私は人生は基本的に遊びだと思っている。
- 深刻になることと、真剣に生きることとは違う。
- リラックスして今この瞬間の叡智に身を任せる。すると新しい癒しの空間が、別の言い方をすると創造的な遊びの空間が現れる。
- セラピストやヒーラーを目指す人にとって、テクニックよりも大切なことがある:自分の在り方。在り方とは一言で言うと、存在の質。
- 訪ねてきた須永さんは、伊勢神宮といえば瀧原宮がおすすめだと言っていた。いわゆる「気」が違うらしい。
- 南伊勢から帰ってきた翌日、CT 撮影と血液検査を行った。
- がんになる前までの僕は、生きることに対して無意識に多くの制約や責任や義務を自分に課していたのかもしれない。
- 寺山先生のワークショップで引いたカードは「The Purpose(目的)」。 岩山からツルハシで光る鉱石を掘り出す人の絵だ。
- 1. 体の原因
- 2. 心の原因。僕は常に「ここが間違っている」「もっとこうしなさい」「まだまだ努力が足りない」と父から指摘を受け続けて育った。
- 3. エネルギーの原因(わかりやすい言葉だと「気」のこと)
- 魂の原因
- 魂の計画を知る。今、自分に起こっていることは何なのか。なぜこの出来事が自分に起こるのか。
- 6. ネガティブエネルギーを排出する
- 7. 自分を癒し愛する
- 望む未来へのつながり方
- まとめるとこうなる:
- 10新しい生き方
- 「LEELAリーラ」という言葉がある。サンスクリット語で「神々の戯れ」という意味。
- 物理学者たちが「宇宙とは何か」という問いに対して、宇宙は自分を分割して、分割した自分で自分を体験している知的な存在、という結論に達した。
- サレンダーには二つの方向がある。
- この時に忘れてはいけないことがある。自我は魂のエネルギーも自分の手柄にして、自分を増殖させたい欲求を持っている。
- それはまさに、毎回毎回、僕の魂が「自我を手放しなさい」「人生を信頼しなさい」「流れに逆らわず身を任せなさい」と言っているようだった。
- 目の前に来ることに一生懸命対応し、直感的にひらめいたことを行い、毎日気分よく過ごす。
寺山心一翁 癌が消えた 人が治った方法を真似しても、決して治っていきません。作り方はあなたしか知りませんから、治し方もあなたしか知らないのです。
がんは自分が作ったことを素直な気持ちで認めることができたとき、治っていく道が見えてきます。自分のがんを治した経験のない医師の指示は受けない方が良いでしょう。
自分の信じる道を歩んで完治してください。きっと治ります。
肺がん。肺は陰陽五行では「悲しみ」。
怒りは感じていたが、怒りは肝臓。肝臓は悪くない。
原因が何なのか、初めはわからないでいた。
はじめはガンと戦っていた。ネガティブなことを考えないようにして、絶対に勝ってやろうとしていた。
途中ですべてを諦め、委ね、サレンダーすることに至った。
トキさんの自強法のワークショップ。
体が微妙に動き始めた。背骨を中心にゆらゆらと揺らいでいる。貧乏揺すりのように太ももがゆさゆさと動き始める。いろいろな場所が動いていった。
奇門遁甲。
諸葛孔明がやっていた、ある計算に基づいて算出された方位に基づく戦術。願いを祈願した木の杭を、決められた日時に決められた方向に打ち込むという儀式。
経験上、7割の確率で不思議なことが起きた。
著者もこの後、トキさんと一緒にこの儀式を行っている。
癌と戦っている間は、いつも何かに追いかけられている感じがした。
死神が「無駄な足掻きはやめろ」などと言ってくる。それと戦って、絶対に勝ってやると言い返していた。
寺山先生のスマイルワークショップ、秩父で開催。
歌い始めると、男性と女性の声が重なり合い、振動が合わさって部屋の空気が変わっていった。まるで暖かな春の日差しに包まれた別の部屋にいるようだった。10月4日からの3日間
メッセージカードを引いたら、「The Purpose」と、ツルハシで光る鉱石を掘り出す人の絵
がんという体験は僕にとってどういう意味なのか、僕にとって一体何なんだと念じてカードを引いた
がんはタケちゃんに生きる目的を教えてくれるために来たんですよ。それを分かってあげてください。がんはギフトなのです。
自分の頭の中に走り回る恐れの声に振り回されないことが大事なんだ。
恐れの声に従うと、自分を守ろうと防御し、閉ざして硬くなる。硬くなると冷たくなる。
その結果、様々な病気になるんじゃないだろうか。
まず緩むこと、そして温めること、楽しむことが大切なんだ。子どもの心、無邪気な心を取り戻すことが大切。
歌をみんなで歌っているとき、声が重なり合い、神様の声みたいだと思った。涙が溢れ出した。声が震え上ずる。みんなの目からも涙が溢れ出した。
何が起きたか聞かれて、なんて言ったらいいのか、波動ですかね。言葉にすると月並みですが、愛でしょうか。愛の波動、振動にアクセスしたというか、繋がったような気がします。そしたら涙がドッと出てきて。
大学病院の掛川医師に代替医療で行くことを伝えたら、そうするとどのように体調が悪化していくかをこと細かに聞かされた。
その後、明らかに体調がおかしくなった。頭の中で掛川医師の声が響き渡るようになった。
取り憑かれてしまったようだ。
ポジティブシンキングで好転反応だとか、がんは治ってきているんだと自分に言い聞かせていたが、状況は悪化していった。
太陽の光を浴びただけで幸せを感じたり、息をしているだけで幸せなんだ、生きているだけで素晴らしいんだと感じることがあった。
僕は愛を学んでいなかったということだ。
人生はいろいろある。何をやってもいいし、何でもできる。何をやるとか、その結果とか、そんなことは全く関係なかったんだ。
結局はつまり、それで自分をどのくらい愛せるようになったか、周りの人をどれだけ愛せるようになったか、それだけなんだ。
引き寄せの法則で「意図を持つこと」の大事さを学んだ。
素粒子の理論などで、観察する人の意識が素粒子に反映されると言われている。だから、意図を持つことによって素粒子にスイッチが入り、それが遺伝子のスイッチをオンオフするということだと思う。
そういうところに辿り着いた。
寺山心一翁先生のスマイルワークショップで出会ったさおりさん。
彼女はがんに苦しみ、がんを治していく過程で、八貝浩二さんというメンタルコーチが生み出した独自のカウンセリングを学んだ。これでがんが消えた人もいるとのこと。
カウンセリングの練習がしたいとのことで、モニターになってほしいと言われた。
そのメソッドでは、感情と臓器には密接なつながりがあるとされる。漢方と同じ。
自分では怒りを感じていたが、体は悲しみの感情を表す。しかし、悲しみはピンとこない。
会話をしているうちに、怒りを感じている相手は父親だと気づいた。もっと無条件に認めてほしいと思っていたこと、いつも否定されていたこと。厳しいしつけをされ、もっと褒めてほしかったのだ。
しかし、もう距離を取るようにして近づかなくなり、本音も言わなくなった。傷つきたくないからだ。いつも足りないところを指摘されるから、傷つくのだ。父に近づくことを諦め、親しいやり取りを我慢していた。
父からは、いつもこう言われていた:
・我慢しなさい
・努力しなさい、頑張りなさい
・周囲に合わせなさい
・相手が期待する以上のことをやりなさい
・男らしくしなさい、泣くな
そうしないと、社会では生き残れないのだと。
父に言われた基準で、今も使っているのは「完全完璧でなければならない」ということ。
それを自分に課しているから、いつも自分にダメ出ししている気分になってしまっていることを指摘された。
父に、それが苦しかった、嫌だったということを伝えるべきだと言われた。
想像するだけで緊張感で体が熱くなった。
自分の中の感情を全部外に出す。それによって、病気の元になったエネルギーが体から出ていく。だから言う必要がある。
そして「私は前に進むためにあなたを許します」と言ってください、と宿題を課された。
帰りの電車の中で、父に単に愛してほしかった。一言「愛してるよ、大好きだよ。そのままのお前でいいんだよ」そう言ってほしかった。
だから愛されるために無理をして、背伸びをして、何者かに必死でなろうとしていた。
いつもダメ出しをされ、いつしかそれを諦めた。
そうだ、僕は悲しかったんだ。
やれることは全部やった。これでもう僕にできることはなくなった。ゼロだ、ナッシング、完全に白旗。神様、降参です。
その時だった。目の前が急に明るくなり、呼吸が爽やかになった。圧力釜の中のような圧縮された暑苦しい高密度空間から、一気に何もない軽やかな空間に解き放たれた。突然、僕は爽快感に包まれた。
そうか、もう抵抗するのはやめよう。もう握りしめるのはやめよう。できることは何もないんだから、全てを委ねよう。もうお任せしよう。お任せするしかないじゃないか。ふにゃふにゃと体がまるでクラゲになったように力が抜けた。
なぜかとても清々しい気分だった。
僕は今までいた世界と全く違う世界に、スルリと抜け出したのだ。その後、病院を出て帰宅した。
どうやって帰ったのか、全く記憶がない。
家に帰るとたまらずに、居間で横になった。だが、不思議な解放感と爽快な気分が続いていた。これは何だろう。とにかく気持ちがいい。そっか、手放したのか。僕は今までしがみついていた。
自分のやり方、自分の気持ち、恐怖、自分の人生、自分自身を握りしめていた。
それを手放したんだ。だからこんなに気持ちいいんだ。
サムシング・グレートってやつなのか。
これが委ねるってことなのか。僕はもう何もしません。何も考えません。ジタバタしません。あとは煮るなり焼くなりお任せします。大いなる存在よ、僕を好きなようにどこにでも連れて行ってください。僕は笑って全てを受け入れます。
口元には自然と微笑みが浮かんだ。
もう楽しむしかないよ、父さん。そうだ、もう楽しむしかない。人生が僕をどこへ連れて行くのかはわからないけれど、楽しむことはできる。もう戦わなくていいんだ。一体今まで何と戦ってきたんだろう。戦わないってなんて楽なんだろう。今までの僕はここで死んだ。
肺がんステージ4は僕の魂の計画だったんだ。
次の瞬間、心の深いところから声が聞こえた。
「自分で作った計画なんだから超えられるんじゃねえ?超えられない計画は作らないでしょ」
翌日、父母と会って、父に沙織ちゃんとの宿題、そして父への思いを伝えた
。「大好きだよ」って言ってほしかったんだ。一言でいいから、「お前は俺の自慢の息子だ」って言ってほしかったんだ。
そう、僕は父が、お父さんが大好きだったんだ。父を大好きだった無邪気な時の気持ちがよみがえってきた。
小さな僕はお父さんが大好きだったんだよ。だからお父さんに褒めてもらえなくて、認めてもらえなくて、悲しかったんだ。
父は愛しているに決まっているじゃないか。私が身代わりになりたいって何度思ったことか。
父の目が赤く染まった。初めて見た父の涙だった。母も横で泣いていた。
そっか、僕は愛されていたんだ。温かいものが胸に流れ込んできた。
父「認めてたんだよ。仕事だってなんだって、本当に認めてたんだ。」
「大したもんだ」って、いつも母さんと話していたんだよ。
僕は父さんを許します。僕が前に進むために。
最後に僕はそう言った。父は最後まで一言も反論しなかった。僕をすべて受け止めてくれた。
そして心の奥深くから声が聞こえてきた。
「僕は治るな。もう治るしかないじゃん」
ケイコさんという特殊な能力を持っている人と会った。
恵子さんによると、僕の過去世は大まかに2つのパターンで、ほとんどが男性として生きている。
- 金と女を追いかけてあっけなく死ぬパターン
- 政治的あるいは宗教的なリーダーになるパターン
どちらも反対側の勢力なので、ほぼすべて捕まって殺されている。今回の目標は長生きすることだって、魂的には計画を立てているはずなんだけどねと言われた。
お父さんは体制側の人間で、トネくんを捕まえる役だった。だけど捕まえた後、やり直す気がないか、改心する気がないか、しつこく聞いている。彼も殺したくない。だけどトネくんは頑固で首を縦に振らない。だから、今世でも厳しくトネ君を否定し、しつけようとしてきたのだろう。そうした因縁があったということがわかった
ヒーラーの河野修一さん。癌は自分自身なのです。自分と戦っても勝てません。傷つくだけです。
自分の中に敵を作ると、その敵はどんどん強くなります。負けまいとすればするほど強くなるのです。
世間の多くの人は、病気とは敵であり克服すべき対象だと考えています。
そして病気になった時、ほとんどの人が自分を犠牲者の立場に置きます。「なんで病気になったんだ」「なんて運が悪いんだ」という具合に。
その人の生活習慣や心の状態とは全く無関係の病気など存在しない。
病気という結果から見れば犠牲者の立場を取りたくなるかもしれないが、病気の原因から見れば、多くの場合、自分が加害者であることに気づいていない。自分の体に痛みや病んだところがあるとき、そこに意識が向くのは自然なことだ。
そこからのアプローチの仕方は2種類ある:
- 痛みや病みを問題視してそれと戦い、それのみを取り去ろうとするアプローチ
- 痛みや病みを意識しつつも、それを入り口にして魂の声を聞き、人生そのものに癒しをもたらそうとするアプローチ
前者が局所への直接的、直線的、二元的、分析的なものであるのに対し、後者は全体的、球体的、多次元的、直感的なものである。
痛みや病気は本当の自分とつながるためのガイド。魂とより深くつながり、本当の人生を歩むための最高のチャンス
全体の視点で局所の現象を捉えることは大切。それには視界を高くする必要がある。
家の1階の窓の外は遠くまで見えない。エレベーターに乗って2階に上がると、少し遠くまで見える。5階まで上がれば、隣の家で遮られていた景色が見える。10階、20階、30階とさらに上がっていくと、高くなればなるほど遠くまで見えるようになる。
目の前の出来事で感情的に混乱した、狭い視界の状態が1階。
目の前のことは少し横に置いて2階に上がってみると、問題の向こう側が少し見えたりする。
10階まで上がると、問題の向こう側がはっきりと見え、作り出している原因が分かったりする。
30階まで行くと、そもそもそれが問題にすら見えなくなったりする。
50階まで上がると、それは自分が成長するために自分で作り出したものだということが分かったりする。
退院したらぜひ南伊勢のロッジに来てくださいと言われた。自然がそのまま残っているところ、自然のエネルギーを浴びて弱った体を療養されるといいと。
入院時のアンケートで、今の自分の病状についてと今回の入院についてのアンケートを記入した。
どちらも「全く不安なし」に丸をつけた。
僕は努めて考えないこと、いい気分でいることを意識した。
過去のことも未来のことも一切考えない。考えてもしょうがないことは考えない。今を気分よく過ごす。
いい気分でいるために、iPod で鳥のさえずりや波の音、イルカの声などが入ったリラクゼーションの音楽を常に聴くことにしていた。鳥のさえずりが聞こえてくる。ここは森の中。エメラルドグリーンの木々たちがさわさわと揺れている。葉っぱの隙間からはキラキラと宝石箱をひっくり返したような光が僕の顔を照らしていた。なんて綺麗なんだろう。命が今を生きていることを歌い上げていた。
体から力が抜けていく。無意識に固まっていた筋肉が温かいお湯に浸ったかのようにほぐれていく。胸の中のズキズキやチクチク、股関節や坐骨の痛みも不思議と小さくなっていき、最後には消えてしまった。ああ、なんて幸せなんだろう。ここは天国だ。そう、天国は今ここにあるんだ。
手や足がじんじんと重くなってきた。体の中をエネルギーが流れていく。それは頭のてっぺんから尾骶骨まで、まるで小川のせせらぎのように温かなエネルギーが流れていた。
そのうち、体とベッドの境界線がぼやけてきた。体の感覚が消えていく。無限の空間に体という物質が溶け込んでいく。なんて気持ちいいんだろう。
そして今度は僕という存在自体が消えていく。自分という意識の境界線がぼんやりとしてきた。
ああ、そうか。僕はここから来て、ここに帰っていくんだな。ここは何もないけど、全てがある。足りないものなんて何もない。全てがあるから何もいらない。ああ、なんて幸せなんだろう。
がんであっても幸せ、がんでなくても幸せ、どっちも同じ。その時、僕という意識は完全になくなり、至福と一体に、いや、至福そのものになっていた。そこは物質を超え、意識を超えた世界だった。
そう、体が消えても、自分が消えても、至福は残る。至福は死なない。限りない幸福感の海を心ゆくまで泳いでから、ベッドの上の現実に帰ってきて、目を開けて思った。
僕は至福から生まれ、至福に戻っていくんだ。じゃあ死ぬことなんて怖くないじゃないか、あそこに戻るだけなんだから。
長男から KOKIA の「愛はこだまする」という曲の映像が送られてきた。
そういえば、自分に「I love you」って言ってこなかったな。自分のことを全く愛してこなかったんだな。
ごめんね、ごめん、僕。
その時、まぶたの裏に子供が現れた。なぜか薄汚れた体操服を着ていた。その子は不安そうな、今にも泣き出しそうな顔をして僕を見ていた。
この子は僕だ。今まで全く気づかないようにしていた。無視していた。僕の中の、子供の僕。いないことにしていた僕。弱い僕。臆病な僕。自信のない僕。傷ついて泣いている僕。全部、僕だった。
ごめん、本当にごめん。
僕は心の中でその子を抱きしめるように、自分の体を両手で抱きしめた。ごめんよ、愛しているよ、愛している。
KOKIA の声と一緒に「I love you」と言いながら、自分を抱きしめ続けた。涙が止めどもなく流れていた。
毎日毎日、何度も何度もこの曲と共に自分を抱きしめているうちに、涙はだんだんと出なくなり、そのうちに温かい微笑みが浮かぶようになった。
あの子が「もういいよ、ありがとう」と言った気がした。
沙織ちゃんが言っていたこと。何か治療とか検査とかするときは、心の中でこう言うの:
「私はこの治療をすることで健康になります。ありがとうございます」
何度も唱えているうちに、感謝の気持ちが込み上げてきた。
この治療を受けられるのも、放射能を発見してくれた人、機械を開発した人、作った技術者、備え付けてくれた人、僕を治療してくれる先生や技師のおかげだ。
ありがとう。みんな、ありがとう。
こうしているうちにあっという間に、10分間の放射線治療は過ぎていった。
骨シンチを受けていた。その結果が、炎症や全身に転移している様子が見られた。
写真をプリントアウトして渡そうとされたが、いらないと断った。いくら気持ちが安定しているとはいえ、全身転移で真っ黒になった自分の骨シンチ写真を眺めても、平気でいられる自信はなかった。ベッドに戻ってからもしばらく、あんなに転移してんのか、本当に大丈夫なんだろうか、本当に治るんだろうか。いやいや、先のことなんてわからない。今落ち込んでどうするんだ。
今できること、それはいい気分に戻ること。よし、波の音を聞こう。
ベッドに横になり、iPod で波の音を聞く。まぶたの裏に浜辺が出現する。光り輝く太陽、打ち寄せる波。穏やかな海が足元を満たしていた。
ああ、気持ちいいな。
僕は再び至福に満たされた。至福から戻った後、あの骸骨写真にとらわれることはなくなっていた。僕はまた、あの根拠のない確信に戻っていた。
遺伝子から ALK が見つかった。肺がんの 4% しかいないと言われている、とても珍しい遺伝子。その 4% に入った。
前の大学病院で調べていたはずなのに、2ヶ月半待っても結果を教えてもらえなかったから、てっきりダメだと思っていた。神様、僕生きていいんですね。
口にした途端、涙が溢れ出てきた。
生かされた。
「生き延びた」ではなく、生かされた。
この世界に残ることを許された。
自然と両手が合わさった。
ありがとうございます。
宇宙よ、神よ、世界よ、僕が生きることを許してくれてありがとうございます。
僕を愛してくれてありがとうございます。
僕は生きます。
この後、CT画像でいろいろな臓器に転移していることを先生から説明されたが、「結構すごいですね。脾臓もですか?」などと他人事のように感心した。
僕のがん細胞は働き者らしい。僕は思わず笑ってしまった。採取した細胞50個のうち、50個すべてに ALK 融合遺伝子が見つかった。ALK を飲んだのは二人目なので何とも言えないが、前の人は治っていないらしい。
「じゃあ僕がその一人目になりましょう」と言った。隣で島田さんが面白そうに微笑んだのを、僕は見逃さなかった。
ボクサーの後輩の土屋くんは、みんなが認めるヒーローなのに自分で自分を許していない。
土屋くんはトネくんの鏡。トネくんも自分のことをヒーローだと認めていない。
ヒーラーの藤子さんはそう言った。自分がヒーローであることを許して、それからね、捨てるのよ。
確かに今回のガンからの生還劇はヒーローっぽい話だ。そう考えるとなんだか自分が他人よりも偉くなったようで、なんか違う感じがした。
そうか、だからヒーローを捨てるのか。自分の素晴らしさを認め、自分を承認し、そしてそれにこだわらない。そこに居続けない。それをいとも簡単に手放して身軽になって、次の冒険の旅に出発する。
そうか、それが「自分がヒーローであることを認め、そしてそれを捨てる」ということなのか。なるほど。
父が見舞いに来て帰った後、怒りが湧いてきた。怒りの声を直接聞いてみた。すると:
「なんで病院ばっかり褒めるんだよ。僕だって頑張ったんだ。僕だって一生懸命死ぬ思いで頑張ったんだ。それなのになんで病院と薬ばっかり褒めるんだよ。僕を褒めてよ、僕を認めてよ、そのまんまの僕を見てよ」
すると目の前に、白髪の年老いた父が現れた。書店で雑誌を探している。「健が好きだから」そう言いながら広い書店を探し回り、棚からボクシングマガジンを見つけて手に取った。「よし、これは喜ぶぞ」
あの雑誌には父の思いが詰まっていたのに、あの笑顔が詰まっていたのに。僕はなんとそのボクシングマガジンを突き返してしまった、別の人が見舞いでくれたから。
なんてちっちゃい人間だろう。ごめん父さん、本当にごめん。
さおりちゃんのアドバイスを自分なりにアレンジして、「私はこの薬、アレセンサを飲むことで健康になります。アレセンサ、君は愛の弾丸。君は僕の体に入るとがん細胞とハグをします。そして二つは一つになって、光となって消えていきます。ありがとうアレセンサ、ありがとうがん細胞、君たちは愛です」と唱える。
そしてカプセルを水と一緒に飲む。体の中に入ったアレセンサががん細胞と合体し、光り輝いて消えていくイメージを脳裏に描く。不思議なことに、これをやると体が光り始める気がした。僕はアレセンサを服用するとき、必ずこのおまじないをすることにした。
その若い看護師は、不思議そうに、そして温かい視線で僕が薬を飲み終えるのを待っていてくれた。
4月10日に退院が決まったのに、目の治療のせいで2週間も伸びそう。その日は結婚記念日なんだぞ。まるでパズルのピースがはまるように全てがうまくいっていたのに。
僕は不安になった。勘違いだったのか、流れが逆流し始めたのか。
いや、待て、違うだろ。深いところから声が聞こえた。
「引き寄せるのさ。自分が望む未来を引き寄せるんだよ。退院ぐらい引き寄せなくてどうするんだよ。弱気になるな。イメージだよ、イメージ。『僕に不都合なことは起こらない』」
と3回、心の中で念じた。「僕は7月10日に退院して南伊勢に行くんだ」と念じた。
しばらく待つと名前が呼ばれ、診察室に入った。結果は、薬の薬効を期待して様子を見ることになった。なので、7月10日退院が正式に決定。
南伊勢の空気は濃い。空気が濃密で、生命エネルギーがみっちりと詰まっているように感じた。
空気を吸っただけで、肺や体の細胞が喜んでいるように感じた。ここにいるだけで病気が治っちゃうんじゃないかな。そんな気がした。ヒーラーの藤子さんのお気に入りの場所に連れて行ってもらった。ここで横になると最高に気持ちいいんです。明日以降、時間があるときに好きなだけここで寝てください。きっと体も喜ぶと思います。
河野修一さんのヒーリングメソッド「ビーイングタッチ」。
多くの人が人生は修行の場だという。確かにそんな見方もできるが、私は人生は基本的に遊びだと思っている。
一生分のパスポートを持って、さまざまな感情体験というアトラクションに乗るために、この地球というテーマパークに遊びに来た。地球でどんな体験をしようと、どんな困難や試練やトラブルも問題ではなく、どんなにつらい感情や隠したいような弱点・欠点も問題ではない。
私たちの愛を成長させるための課題、挑戦、冒険なのかもしれない。
ここに遊びに来ると決めたのは自分。
深刻になることと、真剣に生きることとは違う。
人生観や生命観が気づきによって広がる分だけ、その人の可能性の枠も大きくなる。
実際、「もっと遊んでいいんだよ」と自分に許可するだけで、体の治癒のスイッチが入る人がいる。
ヒーリングタッチは思考レベルの深刻さや頑張りは必要ない。専門知識も不要。
リラックスして今この瞬間の叡智に身を任せる。すると新しい癒しの空間が、別の言い方をすると創造的な遊びの空間が現れる。
その空間の中で問題にフォーカスするのではなく、自分の生命力や喜びを上げていくことに集中する。するとやがて問題はいつの間にか落ちていく。
セラピストやヒーラーを目指す人にとって、テクニックよりも大切なことがある:自分の在り方。在り方とは一言で言うと、存在の質。
ある意味、私たちは精神的な磁石のような存在だ。愛、喜び、優しさ、自己信頼をベースに動き始めるか、それとも不安、恐れ、混乱、自信のなさをベースに動き始めるかで、選択して始める行為は同じでも、引き寄せる結果や創造する現実は全く異なる。
どんな健康法や治療法も、不安や恐れをベースに行っている限り、エネルギー的には不健康な治療法になってしまう。
ビーイングタッチ、自分の中に流れるエネルギーフィールドを感じ取ることさえできれば、難しいものではなかった。僕も妻も、数日でできるようになった。
訪ねてきた須永さんは、伊勢神宮といえば瀧原宮がおすすめだと言っていた。いわゆる「気」が違うらしい。
参道を歩いているだけで、鳥肌が立つそうだ。内宮と外宮に行く予定だったが、瀧原宮に行くことにした
てみると、強いエネルギーを感じた。空気密度が高い気がした。コウノさんがあそこに立ってみてくださいというので、何か神聖な雰囲気のする大きな木の根元だった。パワースポットらしい。
大木の根元に立つと、何かが地面からものすごい勢いでせり上がってきた。
グオングオンと渦を巻くようにエネルギーが体を登ってきた。スパイラルの渦巻くエネルギーが尾骶骨から頭頂へ突き抜けた。
ビリビリと背骨が下から突き上げられるように感じた。
外宮に向かう車中、窓から森を眺めていると、山や森たちが話しかけてきた気がした。
「よく頑張ったね。もう大丈夫だよ」
自然たちの声のように感じた。彼らが一生懸命、弱った僕の体にエネルギーを送ってくれているように感じた。
目の前がゆらゆらとしてきた。
僕は大自然から愛されていたんだ。本当にありがとう。
南伊勢から帰ってきた翌日、CT 撮影と血液検査を行った。
そして次の日、検査結果を聞きに行った。検査結果は非常に良かった。
確かにアレセンサの威力が大きかったかもしれない。でも僕は思う、それだけじゃない。
今までの厳しい食事制限による体の浄化、悲しみという抑圧された感情の排出、南伊勢の大自然の力、ヒーリングの力、自分を超えた大いなる存在と魂の計画への信頼。
そして何より妻の献身的な看護と僕への愛情、僕を心配してくれている息子たちや父や母、姉、ここにも会いに来てくれた人たち。すべての思い、すべての力がパワーとなって、この結果を連れてきたんだ。
がんになる前までの僕は、生きることに対して無意識に多くの制約や責任や義務を自分に課していたのかもしれない。
自分はそれらをクリアしなければ、それを果たさなければ生きている価値がないとでも言うように。
実は違うんだ。人はみんな生きているだけで十分なんだ。生きていることそのものが奇跡であり、喜びであり、幸せなんだ。
僕もそうだし、妻もそう、子供たちもそうだ。この世界に生きている人すべてがそう。みんな生きているだけでも、それだけで十分に奇跡で素晴らしいことなんだ。
寺山先生のワークショップで引いたカードは「The Purpose(目的)」。
岩山からツルハシで光る鉱石を掘り出す人の絵だ。
岩山、ツルハシ、光る鉱石は何なのか。これを僕なりに探っていきたいと思う。
病気の原因は、体、心、エネルギー、魂の原因があると気づいた
1. 体の原因
僕は体の疲労を無視し、常に緊張感の中に身を置き続け、ダメージを体に与え続けていた。緊張状態の時に強くなる自律神経の交感神経優位で毎日を過ごしていた、いわゆる刺激中毒だ。
昼は多くの人の前で話し、夜は負けることが許されない勝負の世界にどっぷりと浸かっていた。それが自分だと思っていた。やりがいや充実感を感じていたものの、疲労は確実に体を蝕んでいった。緊張すると血管が収縮する。それゆえ手足が冷え、血流が悪くなり、多量の活性酸素が体中に溜まってしまう。
体を緩める、温めるというのは、健康の基本中の基本だと思う。
2. 心の原因。僕は常に「ここが間違っている」「もっとこうしなさい」「まだまだ努力が足りない」と父から指摘を受け続けて育った。
その影響で常に完璧な結果を目指し、アクセルを踏み続ける生き方をしていた。ありのままの自分を認められなかった。
3. エネルギーの原因(わかりやすい言葉だと「気」のこと)
ネガティブな感情エネルギーはそれぞれ溜まりやすい臓器があると東洋医学では言われている。怒りは肝臓、不安は腎臓、肺は悲しみ。
僕の場合、お父さんから受け入れられなかったという悲しみが発端となり、「僕は愛されていない」「愛されるはずがない」と気づかぬうちに、自分の中で悲しみというエネルギーを大きく育ててしまった。悲しみのエネルギーが肺に溜まり、ある閾値を超えたことで、DNAが異常になり、がん細胞が増殖し始めたのではないだろうか
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魂の原因
人は生まれてくる前に大まかな人生の青写真を描いてくると言われている。
僕の場合、肺がんのステージ4という出来事は青写真、魂の計画で予定されていた現実だと考えられる。体や心、エネルギーなどの原因はあるかもしれないが、魂の計画に沿ったものでなければイベントとして実際に起こらないと思う。
なぜなら、僕よりもはるかに厳しい環境や状況で生きてきた人たちが全員、がんになっているわけではないから。魂には良い悪いの判断はない。判断するのは、生まれてから発達する自我、エゴ。
魂は死なない。だから魂にとって、死は避けるべきものではない。
魂は死をも含め、ただひたすらたくさんのことを、多くのことを、珍しいことを、面白そうなことを体験したいだけなんだと思う。今回の生で肺がんで死にそうになるけれど、ギリギリで生還するという体験をすること。それを青写真に描いてきたんだと思う。
自分の目の前に起こっていることが受け入れがたい事実であればあるほど、魂の視点で意味付けを行うと、不思議と落ち着く。
この出来事で魂は何を体験したがっているのだろうか。この体験で魂はどんな経験値を積もうとしているのか。意味付けができると、その状況に飲み込まれずに客観視することが可能になる。
河野さんが言ってた「エレベーターに乗って視点を上げると視野が広くなり、目の前に起こっていることの意味が分かるようになる」ということは、こういうことなんだと思う。
『夜と霧』のヴィクトール・フランクルのロゴセラピーは、意味づけ療法といわれている。
魂というものが本当にあるのかは分からないが、そういった視点を一つ持つことで、自分の状況や感情などを客観視して俯瞰できるのであれば、十分に意味があることだと思う。
病気というのは、ある意味で目覚まし時計だと思う。
今までの慌ただしく流される毎日をちょっと立ち止まって振り返りなさい、生き方が間違っているよ、と言っているような気がする。その時に心に浮かんできたこと、それは体かもしれないし、心、エネルギー、魂かもしれない。どれかはわからないけれど、ふと浮かんでくるものが、病気が伝えたいメッセージなのではないだろうか。
辛く苦しい体験をしても、それを振り返り意味を探り、自分の腹に落とし込むという作業をしないと、ただの病気の犠牲者になってしまう。それでは苦しい体験がもったいないと思う。
これは病気に限ったことではなく、すべての体験に言えることだと思う。すべての出来事は自分で決めて自分で起こしているという視点を持つことは大切。
人や環境のせいにしないで、自分が作り出したものだと自覚することによって、次の扉が開くのだと思う。病気を作ったのは自分だ、自分が悪いんだと罪悪感を持つのではなく、そこから成長の種を見つけていく。反省はしても自分を責める必要はない。
要は、人生を主人公として体験するか、犠牲者として体験するかという「立ち位置の違い」だと思う。病気や苦しい体験を通過儀礼と捉え、自分の成長に役立てることができれば、次に同じレベルのことが起こっても慌てることはない。
すべての体験は自分の成長のためにあると思う。人生に失敗はない。すべてが経験なんだから。
恐怖を外に出す。
ジェンドリンという心理学者の「フォーカシング」というものがある。体の中にある言葉にできない感じをキャッチし、言葉に変換して体から排出する方法。僕は枕に顔を押し付け、体の中を走り回っている感情を言葉にして叫んだ。大声で、最後の一滴まで残さないように叫んで叫んで叫び尽くした。
叫び終わった後、心地よい疲労感とともに心の中にゆとりが生まれた。絵として描いてもいい、文字にしてもいい、言葉にしてもいい、叫んでもいい。
何かを叩いたり蹴ったりしてもいい、投げつけてもいい。
とにかく自分の中にあるネガティブな感情エネルギーを外に出すこと。それがきちんとできていないと、芯が尽きて、いいスタートを切れない。
がん宣告のような心理的な危機が訪れた時も、逃げるか戦うかという選択を無意識に行う。
逃げるという選択は、すべてを医者任せ、病院任せにしてしまい、治療と正面から向き合わない。治療のことは知りたくない、怖いことは知りたくない。だからすべて病院と医者に任せ、病気のことはなるべく考えないようにするという選択。
あるいは、病院が勧める治療がすべて正しいと思い、その方が安心だから、本来ならできることをやらずに病院の治療のみにすがってしまう、依存してしまう、医者が言うことを鵜呑みにしてしまう。
肉食動物から運よく逃げられたかもしれないが、敵は体の中にいるのだから逃げ切ることはできない。
僕は戦うサバイバルモードに突入した。僕の強固な自我が「絶対に生き残ってやる」と拳を握りしめ、戦いを始めた。強い自己エゴがあったからこそ、次の明け渡し(サレンダー)が劇的なものになったんだと思う。
なぜなら、明け渡しとは手放すことだから。手放すべき自己エゴが弱いと、明け渡しも弱くなってしまう。
強い自己エゴ、執着、しがみつき、それを手放す。つまり、そのギャップが大きければ大きいほど、明け渡し(サレンダー)がどういうものかを強く体験できるんだと思う。
戦うときは徹底的に戦え、握りしめるときは徹底的に握りしめる。自我の力で状況を好転させられればそれでよし。どうにもならなかったときに、次に明け渡し(サレンダー)がやってくる。
危機に陥ったとき、まずは逃げるな、戦え。できることは何でもやれ、とことん自分が納得するまでやってやってやり尽くせ。
しかし、もう一つの選択肢がある。愛するということ。寺山心一朗先生の「がんを愛するのです」という態度が、病気に対する最高最強の態度である。
この領域に僕が達したのは明け渡し、サレンダーの末だった。サバイバルモードのまっただ中では、なかなかがんを、恐怖の対象を愛することはできなかった。この領域に達するには、様々な内的冒険を経験する必要があるのではないかと思う。
ポジティブシンキングですべて乗り越えられるわけではないと思う。
ポジティブシンキングは緊急避難アイテムだ。ポジティブを強く意識すればするほど、ネガティブも強くなる。ポジティブとネガティブは同じエネルギーの両端だ。
僕は強くポジティブを意識した。すると同じくらい強いネガティブが、ふとした時に起こってくる。僕はポジティブとネガティブの間をぐらぐら動く、やじろべえのようだった。
これは「思考と感情の乖離」という視点でも捉えることができる。僕は常に「僕は治る、がんは治る」と考えていたし、その方法を調べ、計画を立て、実践していた。
しかし感情の方はどうだったかというと、「本当にこれで治るんだろうか」「本当に助かるんだろうか」「いや、無理なんじゃないか」「やっぱりダメなんじゃないか」と感じていた。
脳の中では思考と感情を扱う部分が違う。それぞれの脳細胞が違う電気信号を発信し、頭の中が大混乱の状態だった。これは潜在意識と顕在意識という側面でも、同じことが言えると思う。僕はほとんどの時間を恐怖の中で過ごし、ハッと気づいて「いやいや、僕は絶対に治るんだ」と、顕在意識でポジティブになっていくということを延々と繰り返していた。
これでは疲れるわけだ。
いわゆるポジティブな側面しか意識しないようなポジティブシンキングは、ネガティブを大きく捉えすぎたり、潜在意識にまで押し込んだりして、振り子の振れ幅が大きくなる。
そのため、逆に危険な状態になる可能性があると思う。次の新しい次元は、ポジティブシンキングを超えたときにあると思う。その新しい次元へつながっている扉が開く、わたしはサレンダーだと思う。
サレンダー。
もうどうすることもできない、何もできないという状況に直面したことで、今まで握りしめていた「自分の力で絶対なんとかしてやる」という思いを手放すことができた。
しがみついていた自己自我を手放すことができた。
これを「明け渡し(サレンダー)」と呼ぶ。辞書の意味としては、感情などに委ねる、身を任せるというイメージに近い。感情ではなく、自分よりももっと大きな存在に委ねる。
神、大いなる存在、ハイヤーセルフ、サムシンググレート、空、TAOなど。
TAO 永遠の大河4 OSHO 河出書房新社 これを表す言葉が書いてある:
「生は一つの川だ。あなたはその一部となる。一部になるだけじゃない。それに没入して、川になりきってしまう。そこには何の分離もない。あなたは生そのものとなる」戦っていないとき、あなたは生そのものとなる。無限なるものになっている。広大なるものになっている。
東洋において、その状態は「明け渡し」として知られてきた。
生を信頼すること。全体を信頼すること。心を信頼するのではなく、存在を信頼すること。
サレンダーは諦めではなく、大きな違いは心の在り方。
明け渡しは自分を超えた存在に対する信頼がベースにあるので、基本的に気楽で安心している。身を任せている感覚が、安心感とリラックスと自己肯定感を生み出している(大船に乗ったつもり)。大船が大いなる存在なら、沈没する可能性はゼロだから安心して乗っていられる。
諦めはその反対側に希望があるけれど、諦めと希望は同じステージの両端。ステージの両端を行ったり来たりする状態は、ポジティブとネガティブの振り子と同じ状態。
何かを一生懸命信じている段階がポジティブシンキングで、信頼している状態が明け渡し(サレンダー)の状態。
希望を持たず、諦めもしない。
希望も諦めも自我(エゴ)の創造物。
ただただ生の流れを信頼し、身を委ねる。
それが「明け渡し(サレンダー)」だ。
行動面を見てみても、「諦め」は自分ができることがあっても無理だと思って行動しなくなること。
「明け渡し(サレンダー)」は、目の前に展開される状況をそのまま受け入れ、その時に自分ができることを、できる分だけ気楽にリラックスして行動すること。
サレンダーの領域は、二元性を出た領域。
右も左も、上も下も、希望も諦めも、ポジティブもネガティブも、良いも悪いもない。
つまり、分離や判断が存在しない。過去と未来も存在しない。今ここしかない。
そこは、純粋なビーイングしか存在しない。
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魂の計画を知る。今、自分に起こっていることは何なのか。なぜこの出来事が自分に起こるのか。
この出来事は自分に何を体験させようとしているのか。魂は何を体験したがっているのか。
自我の混乱した恐れの声を小さくして、目の前に展開している出来事の向こう側の意味を知る。これが魂の計画を知るということなんではないだろうか。
体験自体に良い悪いはない。その体験がどういうものだったのか、それだけ。
そういう魂の視点で自分に今起こっていることを眺めてみると、納得感と落ち着きが得られるから不思議だ。自分が計画してきたことなんだから、この状況は乗り越えられるなという、何とも言えぬ根拠のない自信が湧いてきた。これは自分の魂に対する信頼かもしれないし、魂からのメッセージだったのかもしれない。
それは今まで自分に言い続けてきた思考による「僕は治る」とは、全く別のエネルギーだった。
思考による「僕は治る」は、いつも崖っぷちに立っているような焦りと切迫感があったけれど、明け渡し(サレンダー)の後にやってきた「僕は治る」は、強いて言えば朝が来ない夜はない、あるいは春の後には夏が来るというような、ごくごく普通に来て当然のものがやってくる、来ることは知っているものがその通りにやってくる、そんな感覚だった。だから ALK 融合遺伝子適合率 100% で分子標的薬がやってきたとき、僕の中には「来るべきものが来た、20日間で体中のガンがほとんど消えてしまった時もだって当たり前じゃん」という感覚だった。
6. ネガティブエネルギーを排出する
父と話をして、子供の頃から溜まっていたネガティブエネルギーである「悲しみ」を排出することができた。よく言えたね。あれをやると言い合いとか喧嘩になったりすることが多いんだけど、さおりちゃんが言った
一言の言い訳も反論もせずに、僕の言葉をすべて受け止めてくれた父は、本当に僕を愛してくれていたんだと思う。父の態度は立派だった。僕が抱いていた愛されていないという思いは、僕自身が作り上げていた幻想だった。直接言ったのはとても効果的だったけれど、今から考えるとかなり危険度が高いものだったと思う。
というのも、喧嘩になるとネガティブなエネルギーがさらに増大して、体に溜まってしまう可能性もあると思う。よく考えると、他にも方法がある。
直接本人に言うのではなく、信頼できる人やカウンセラーに話す。自分の感じていることやトラウマになった思いなどを包み隠さずに話すことによって、少しずつだけれど体の外に排出することができると思う。アートセラピーは、体の中にあるエネルギーを絵という表現に変換することで、外に排出するものです。
例えば、以下のような方法があります:
• 粘土をぐちゃぐちゃにする
• 壁に投げつける
• 大声で叫ぶ
• サンドバッグを叩く
• 毎日紙に書き出す
とにかく、ネガティブなエネルギーを意識して感じ、捉え、排出することが大切であり、肝だと思います。
そうして魂と体が僕に同じことを告げてきたんだと思う。
「もう普通に治るよ、方法はわからないけれど」と。
7. 自分を癒し愛する
KOKIAの「愛はこだまする」という曲を聴きながら、自分を抱きしめ続けた明け渡しをして、強く有能な僕という自我を手放したからこそ、この子の声がはっきりと聞こえてきたんだと思う。この子がもう十分だよというまで大好きだよと言ってみる
この子が癒されて、本当の意味での再生が始まる思う
八つの奇跡を引き起こすALKは2016年には僕の元に来ず、2017年に来た。
2016年の僕は引き寄せず、2017年の僕は引き寄せた。この違いは一体なんだろうか。
運がいい、あるいは運が悪かった、それだけなんだろうか。
現実を引き寄せる力が働いているように思う「どうしてあの人はいつもついているんだろう」という人に話を聞くと、「そんなの当たり前じゃん。私は守られているから」という答えが返ってきたりする。体やこの世界は、すべて素粒子でできている。素粒子とは、原子よりも小さい物質の一番小さな単位のこと。未来は過去に厳密に紐付けされていない未来には無限のパラレルワールドが存在する
すべては一つと言われることがあるけれど、量子力学的な事実では本当のこと。私たちは波。世界全体は海。。
分離しているもの、分かれているものは何もない。すべてはつながっている。私たちは自我(エゴ)を持っているので、自分は海とは分離されている、切り離されていると勘違いしてしまっている。僕たちは、大海の波の一つに過ぎないということに気がつくと、なぜか安らかな気持ちになるから不思議だ。もし量子顕微鏡というものがあれば、僕たちの体は物質ではなく、エネルギーの渦みたいに見えると思う。
体も思考や感情も、すべてがエネルギーであり、エネルギーとして繋がり影響し合っているのであれば、思考や感情のエネルギーの力で自分の体を蘇生するエネルギーや素粒子に影響を与え、細胞内のDNAのスイッチを入れたり切ったりすることも、理論的には可能じゃないだろうか?
僕もがんは消える、治るという意図を明確に持っていたが、僕のがんは消えなかった。なぜだろう。
それはおそらく思考と感情が乖離していたからだ。思考ではがんは消える、治ると念じつつも、感情では「ダメかも」「死ぬかも」と感じていたので、体を構成する素粒子に明確な信号を送ることができなかったのだと思う。
もしかすると感情の「ダメかも」のほうが強かったので、どんどん悪くなったのかもしれない。明け渡しが起こる前の僕には無理だったということだろう。
明け渡しの後で湧いてきた「あ、治るな」という不思議な確信。この根拠のない確信が、僕の思考と感情の周波数や方向性を一致させたんだと思う。僕の確信から来る「治る」というエネルギー、波動が量子の世界、量子の海に放射され、量子の海はそのエネルギーに沿った現実を時間差で連れてきた。
それが ALK であり、アレセンサであり、たった20日間でがんがほとんど消えてしまった事実だと思う。望む未来を引き寄せるには、感情と思考の周波数と方向性を一致させることがポイント。
思考だけでもダメ、感情だけでもダメ。両方揃わないと実現はしない。
未来はパラレルワールドというのは、ロールプレイングゲームをイメージすると理解しやすい。
ある選択をしたとき、ストーリーが変わっていき、エンディングも変わる。複数のストーリー展開とエンディングはすでに用意されている。これがパラレルワールドと同じではないだろうか。
今、ここという空間には、すべての選択肢とストーリーとエンディングが用意されている。その未来にも接続可能。
要は、どの未来に繋がるか、どのストーリーとエンディングに繋がるか、その一点に尽きる。
どうやって繋がったのか、どうしたら繋がれるのか。
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望む未来へのつながり方
今まで僕は自分の未来、人生をコントロールするために、一生懸命頭で考え、効果的な作戦計画を立て、PDCAを回しながら行動する。頭を使え、考えろ、計画を立てろ、計算しろ。これは今までの思考重視、サバイバルモード中心の生き方。
このやり方で完敗した。このやり方では望む未来にはつながらなかった。
ではどうするのか?
答えは「することはない」。
禅問答のようになってしまったが、これが事実。「する(Doing)」ではなく「ある(Being)」、「なる」と言った方がわかりやすいかもしれない。
では、何になるのか?
望む未来を生きている自分自身に、今・ここでなってしまうということ
思い起こしてみると、入院した時、僕はもうすでに治ってしまった僕になっていた。がんは体中にあったけれど、心はもう治った自分でいたということ。
心の中では治ることを確信している、治ることを知っている。今はまだ状況が追いついていないけれど、いずれはそういう状態になることを知って確信している状態。
入院時に、それがアンケート結果に表れていた。
その後のあり方(ビーイング)から放射されたエネルギーが量子の海に放たれ、時間差で現実の適合を取ってきたのではないかと思う。
あり方(ビーイング)が安定していれば、当然ながらそこで使われる思考や感情も安定する。量子の海へ放射される信号も一定して安定したものが放たれるため、それに似合った現実が実現され、やってきたのではないだろうか。
未来の自分を先取りして生きる。
実現したい未来を生きている自分をキャッチし、その自分に周波数を合わせ、今ここでその自分になってしまう。
その自分ならどう考え、どう感じ、どう選択するかということを、すべての基準に設定する。その自分を感じ、その基準で毎日を生きる。
すると自然にその世界につながり、その世界がやってくる。
注意点がある。繋がった未来が来る時は、想定外のところからやってくる。予想外、想定外の出来事がその未来に繋がっていることが多い。
僕は ALK を全く想定してなかった。僕は「治る」ということしか確信していなかった。方法は考えず、すべて大いなる存在にお任せだった。
望む未来を実現する方法や計画まで頭の中であれこれ考えると、今までと同じ思考の世界にとらわれてしまう。その思考の枠組みにとらわれてしまう。
それがなぜいけないかというと、思考とは過去のデータや経験に基づいたものなので、想定外のことは想定できないから。思考では過去の延長線上の未来しかやってこない。これでは面白くないし、奇跡的な出来事、圧倒されるような出来事は起こらない。奇跡は想定外だから奇跡と呼ばれる。
結論から言うと、結果だけ意図してあとは考えない。未来を実現するための思考はあえて停止させる。作為的な思考はすべて手放す、捨て去る。
もう一つは、常に自分のエネルギーの周波数を高く保っておくこと。自分が発しているものが出来事を引き寄せるのであれば、できるだけ高いエネルギーを放っておいた方がいい。一言で言うと、いい気分でいるということ。
僕は入院中、鳥の声や波の音を聞き、何も考えずひたすらいい気分で過ごした。毎日とてもリラックスし、緩やかで穏やかで安らかだった。
自我は抵抗し、執着し、判断する。それが自我の機能だから。
しかし、未来の世界を引き寄せるときには、自我は邪魔になる。自我は理解できないものが不安なので、あれこれ言い訳や理由をつけて、目の前に展開する夢のような世界を否定してしまう。あるいは何かに執着して、エネルギーの流れを阻害してしまう。
理想の未来につながりたければ、自我の声を採用しないこと。自我は恐れと不安の声でしかないことを理解することが大事。
目の前に展開する出来事を判断せず、抵抗せずに受け入れ、手に持っているものは執着せずに手放していく。
これが明け渡しの生き方なんだと思う。
まとめるとこうなる:
- 実現したい未来を生きている自分にアクセスする
- その自分を感じ取る
- その自分に今ここでなる。思考と感情を同調させる
- ひたすらいい気分でいることに集中し、余計なことは考えない
- 目の前に展開される出来事を抵抗せずに受け入れる
10新しい生き方
行為しようとの意思を持たず、しかもすべてを成し遂げる。これが「無為自然」の道である。
『老子・列子』奥平卓(徳間書店)
意味は何もしないことをする。何もしないことをあえてする。
Doing(何かしたくなる思考の不安や恐れ)を乗り越え、全体・他を信頼し、あえてぐっとこらえて何もしない。全体(タオ)のエネルギーと一体となり、一緒に流れていくことで、自我を超越し、大いなる自然とともにすべてが収まるところへ収まっていく。
意識するのは Being。ひたすら思考と感情を見つめ、つながりたい未来の自分にアクセスし、その自分で今を生きる Being。
その未来の自分、Being(ビーイング)で生きているときは、直感的に閃いたことや、やりたいと思ったことは判断せずに行動に移し、目の前に展開される状況に全力で対応する。
過去のことを後悔したり、未来のことで不安に思ったりしないで、今を一生懸命に楽しく生きる。
それが無為自然の生き方。
自我中心の生き方は、行動do して結果を出し(have)、幸せを感じる(be)生き方。先に行動がある。行動して結果を出して、have して初めて幸せbe になる。
この生き方では、幸福(be)は結果(have)に依存してしまう。結果が得られなければ幸福になれない。こうして回し車のネズミのように、常に行動し続けることを無意識に続けてしまう。
これに対し、存在(Being)が先立つ生き方は Be->Do->Have の生き方。この生き方は最初から幸福。
幸福な私(Be)が何かをする(Do)。すると、何かが得られる(Have)。最初から幸福なので、幸福は結果に依存していない。仮に自分の思うような結果が出なくても幸福には影響しない。常にいい気分でいられる。
そして究極の生き方が Be-Have の生き方。幸福(Being)の周波数を量子の海に投げかける。すると量子の海はそれに応え、最適な状況や結果を連れてきてくれる。
老子の「無為自然」はこの究極の Be->Have の状態を指すのだと思う。何もしないことをする、無為の生き方。これはいい。最強の引き寄せマスター、それが老子だと思う。僕はこの無為自然を目指したい。
「LEELAリーラ」という言葉がある。サンスクリット語で「神々の戯れ」という意味。
この宇宙は神々が遊ぶために作った遊び場だ。神様は自分が神様であることはあえて忘れて、この世界にやってくる。生まれたときに記憶を喪失する。自分が神様だと知っていると、初めから解答を知っているゲームをやるようなものなので、つまらない。
物理学者たちが「宇宙とは何か」という問いに対して、宇宙は自分を分割して、分割した自分で自分を体験している知的な存在、という結論に達した。
宇宙はその人の人生を通じて、たくさん自由度の高い体験ができる。
宇宙を神と置き換えると、この世界はまさにリーラ、神々の戯れそのものではないだろうか。
サレンダーには二つの方向がある。
一つは、世界と戦わないこと。目の前の状況や環境を抵抗せずに受け入れ、外側の流れに身を委ねる。
もう一つは、自分の中から湧いてくる内側からの流れ、直感やエネルギーに身を委ねること。
状況や環境をただひたすら受け入れ続けていたら、それは主体性のない流される人生とも言えるかもしれない。
それだけではなく、自分の内側から流れ出すエネルギーにも身を委ねる。外側からの流れと内側からの流れ、この相互のエネルギーの流れが大きく合流することで、人生という筋書きのないダイナミックなドラマが作り出される。
夢中になれること、ワクワクすること、時間を忘れて没頭できること。そういったものを自分の存在(Being)を通じてこの世界に放出していくとき、それに合わせるように、それを迎えるように、さまざまな出来事が起こってくる。
それを体験することこそが、自分の魂の計画なんじゃないだろうか。
この時に忘れてはいけないことがある。自我は魂のエネルギーも自分の手柄にして、自分を増殖させたい欲求を持っている。
才能ある人に限ってものすごく強い自我を持っているケースは、こういったことが考えられる。
自我を強く持っていると、本来もっと広がったり昇華したりしていいものが小さくなってしまったり、途中からうまくいかなくなるという結果を招く。自我は生の流れに素直に従わないから、いずれはうまくいかなくなってしまうと思う。
自分という通路を通じてこの世界にもたらされる(与えられる)ものは、祝福だと思う。この祝福は自分を通じてこの世界にやってきたものだけれど、自分のものではない。魂にとって成果物などない、”それを生きる”ということが魂の喜びだと思う。
サレンダーを意識して、魂に自分を明け渡す。そうすると、きっと人生は今までと違ったものになる。
これからもそうありたい。
寺山先生のワークショップで引いたカード。岩山からつるはしで光る鉱石を掘り出す人の絵。
あのカードは、本当の自分に出会うためには今までの自分を壊す必要があるよ、と告げている。さまざまなことがあった。
それはまさに、毎回毎回、僕の魂が「自我を手放しなさい」「人生を信頼しなさい」「流れに逆らわず身を任せなさい」と言っているようだった。
人生という大河に身を任せ、川と一緒に流れていきなさい。そして、自分の直感を信頼しなさい。そう導かれていた気がする。
これから先、僕がどうなるかは分からない。何が待っているかも分からない。そんなことは考えていないし、考えてもしょうがないことは考えない。
目の前に来ることに一生懸命対応し、直感的にひらめいたことを行い、毎日気分よく過ごす。
これが今の僕の生き方。この人生はおまけ。せっかくもう一度生きることができるのだから、楽しくワクワクと、魂が喜ぶ生き方をしようと思う。
誰かのためとか、何かの役割とか、過去の自分がこうだったからとかに引きずられずに、今ここで自分らしく、自分の時間を大切に、自分の人生を生きていく。そうしないと命がもったいないし、遊ばないともったいない。
魂は僕という存在はを遊ぶためにこの世界にやってきたんだから。
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